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キリストへの愛を表すためには?

水のバプテスマを受けましょう

イエス・キリストへの愛を示すためにすべきことの一つは水のバプテスマを受けることです。 水のバプテスマは、あなたがイエス様を信じて生きていくと決めたことを確認する意味のある儀式であり、あなたがキリストの弟子であることを世界に証しすることです。

水のバプテスマは、イエス様を救い主であり、主(しゅ)として受け入れた後に受けるものです。 水のバプテスマを受けるということは、その行為自体が救いをもたらすものではありませんが、心を尽くしてイエス様に従うというあなたの決意を、世界に伝えることです。

では、水のバプテスマではどのようなことをするのでしょうか。まず、 あなたは水の中、通常は川か、教会でバプテスマを受ける場合は洗礼槽(水槽)の中にまず入ります。そして 牧師があなたを手伝い、あなたのからだ全体を完全に水の中に沈めます。 その後、すぐに牧師があなたを水から引き上げます。この儀式は、実際、非常にシンプルで難しくありません。 しかし、それは非常に意味のあることです。

あなたが完全に水の中に沈められる時、そのことは、イエス・キリストの死が、あなたの上にも起こったことを象徴的に表します。 つまり、あなたの過去の罪と恥の生活が、水の中に捨て去られるのです。 そして、あなたが水から出てくることは、イエス・キリストに従う新しい人生へと引き上げられたことを象徴的に表すのです。 このことは、イエス様が復活されたように、あなたも死から復活したことを表します。 古いものは過ぎ去り、新しくされたのです!

別の表現で言うならば、水のバプテスマは、あなたが完全に水の中に沈められた時、罪に対して死に、水から上げられた時、キリストと共に生きていることを意味します。

使徒パウロは、ローマ人への手紙という本の中で水のバプテスマの意味について次のように書いています。 「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(ローマ人への手紙6:11-13)。

水のバプテスマの儀式は、友人や家族を招待して、イエス様はあなたが仕える方であり、あなたの主であることを知って頂く素晴らしい機会です。 それは、あなたが新しく創造された者であり、後戻りをするつもりはないことを彼らに伝える力強い方法です。 また、それは、水のバプテスマの意味を彼らと分かち合い、彼らもイエスのもとに戻って来ることができることを伝えるよい機会ともなります。

新しくキリストに従う決心をした人の中には、幼児(ようじ)の時にバプテスマを受け、今再びバプテスマを受ける必要があるかどうか疑問に思っている方もいるかもしれません。そのような場合は、再び受ける必要があると言えます。 水のバプテスマを受けるという行為は、あなたがキリストに従う者となったことを宣言することです。 子供の時、あなたはその宣言ができませんでした。しかし、今あなたはそれができるようになったのです。

それでは、キリストへの愛をどのようにして表したらよいでしょうか?まず、水のバプテスマを受け、イエス・キリストに倣(なら)う者となることによって、あなたはキリストへの愛を示していけるのです。あなたが人生という旅の中で、毎日もっとキリストのように歩むことができるように、私たちはずっと祈っていきます。