どのようにして、この世の困難に対処すればよいか?
あなたには新しい感覚が備わりました
この世の中にはたくさんの問題があるということをみなさんはよくご存知だと思います。戦争、自 然災害、病気、貧困、そして罪の結果によってもたらされるさまざまなことに私たちは直面します。ときには、これらの問題が大きすぎて、キリストに従う人たちであっても、イエス様ではなくそれらの問題に目をとらわれてしまうことがあります。心と感情がそれらの問題に目をとめてしまうと不安 になり、そして悩みはじめます。不安と心配はやがてあなたの心、そして体にも影響を与えるように なります。これらの感情が放置されてしまうと、疑いを持つようになり、そしてついには神様から離 れることにつながってしまいます。ここでみなさんに福音について思い出していただきたいのです。それは、この世の中の問題に対して私たちはイエス様に目を向けることで対処することができ、それ によって平安が与えられるということです。イエス・キリストに従う者としての新しい感覚、それは 平安です。
新約聖書の中のヨハネの福音書では、イエス様がこう言われたと記録されています。「わたしはあ なたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与え ません。あなたがたは心を騒がしてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネ14:27) イエス様だけが完全な平安を私たちにもたらしてくださいます。不安という感情の根源はイエス様で はないという、その確信がイエス様によって得られるのです。イエス様は裁く(さばく)ことはなさ らず、また不安をもたらすこともなされないのです。
人生の悩みに傷ついたとき、逃げ出したくなったり、助けてくれそうだと思う人のところに逃げ込 んでしまいたくなったりするかもしれません。しかし、逃げ出す代わりに、私たちは不安な感情を𠮟 り(しかり)つけることができます。それはそのような感情は神様から来るものではないということ を知っているからです。そして、しっかりと立つことができます。なぜなら、私たちはイエス様に属 するものであり、イエス様が私たちを守ってくださると知っているからです。
では、イエス様の平安を得る方法はどのようなものでしょうか。新約聖書のピリピ人への手紙にこ う書かれています。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによ って、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安 が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)こ れは、人生の悩みに直面しているとき、感謝に満ちた心と、抱えている重荷を神様に明け渡す祈りに
よって、私たちは問題に対処することができるということを意味しています。そして主は、それらの 悩みを平安へと変えてくださるのです。イエス様が、どのようにあなたの問題を解決してくださるの か、また、どのようにして勝利を収め(おさめ)られるのかという、それらの方法は理解できないかも しれませんが、イエス様がこれらのことをしてくださる、ということについては確信を得られるはず です。大変なことのさなかにあっても、キリストの平和を見つけることができることは、本当に素晴 らしいことですね。
私たちは様々な問題に直面します。それらの問題が解決し、片付いてからでしか、心の平安は 得られないと思うかもしれません。しかし、イエス様は、問題が最悪に見える状況の中でも平安を見 つけることができると語られます。私たちがイエス様に依り頼むとき、主の力強い臨在(りんざい) が私たちに平安をもたらし、私たちが直面している問題を、主が良いものへと変えてくださるという 確信を得ることができるのです。
では、私たちは、この世の様々な問題に対してどのように対処していけばよいのでしょうか? 初めに、キリストに対するご自身の愛にしっかりと立ち、神様があなたをどのような時にも必ず守っ てくださると、確信をもってください。人生における様々な問題のただ中にあっても、イエス様があ なたを愛し、共にいてくださるということに疑いの余地はないはずです。あなたが、すべての問題を イエス様に委ねていくことを学んでい 時、あなたは、自分の理解を超えた平安を見つけ出すことが できるようになります。みなさんが、自分の心と思いをイエス様に留めるとき、その平安の中に生きることができるのです。人生の旅路を歩む中で、みなさんがこのあたらしい感覚を得て、福音によってもたらされる主の平安の中にとどまることができるようにお祈ります。